(1)調査の概要
今年度は一ノ門と天守台周辺の2箇所で調査を実施しました。(対象面積合計約440㎡)
一ノ門(約180㎡)・・・・・構造を確認。
天守台周辺(約260㎡)・・・昨年度見つかった信長期の可能性がある天守台石垣をさらに詳しく調査。
⇒各調査区で成果が得られました。
(2)一ノ門が斎藤道三公により築かれたことが判明
・一ノ門は岩盤の高まりの周りに石垣と巨石石垣を組み合わせてコーナー部分を造り出しています。このような構造と平面形が、16世紀前半に美濃国守護の土岐氏によって築かれた
山県市大桑城岩門と非常に類似することを確認しました。
⇒一ノ門は大桑城と同じ技術を用いてほぼ同時期に斎藤道三公によって築かれたことが分かりました。
・岩盤上面を平坦に加工した痕跡と火を受けて赤く変色した箇所を確認しました。加工された痕跡は直線上に3ヶ所見つかり、門の柱を据え付けた跡の可能性があります。
・岩盤を覆っていた土の中からは焼けた壁土や瓦が見つかっています。1567年の信長公入城後に瓦葺の門に改修され、1600年、関ヶ原の戦いの前哨戦による火災で焼け崩れた
可能性が高いことが分かりました。
(3)天守台石垣は2段で構築されていることが判明
・天守台の2段目の石垣を発掘調査で初めて確認しました。
→天守台石垣が2段で構築されていることが判明。
・見つかった2段目の石垣は、昨年度の天守台石垣と同様に1567年信長公入城後の石垣の特徴をもっている。
・裏込め石は、天守台石垣の基礎を兼ねていることから信長期に同時に築かれた可能性が高いことが分かりました。
・現在の天守が乗っている石垣の基礎部分でも戦国時代の石垣を確認しました。
(4)信長期の可能性がある瓦が出土
・昨年度と今年度の天守台周辺調査で軒丸瓦と軒平瓦が出土しました。
→軒丸瓦は文様の特徴が信長公の家臣団の城である明智光秀公の坂本城や、細川藤孝公の勝龍寺城などで
見つかっている瓦と類似。
☞見つかった石垣と瓦から、天守台石垣が信長期に築かれた可能性がさらに高くなりました。
☞今回の成果で信長公は土岐氏や道三公を受け継ぎ、さらに発展させた城造りを行ったことが明らかになってきました。
(5)報告会及び現地公開について
・令和3年2月6日(土)10:00~11:20にオンライン形式による調査成果報告会を山県市大桑城と共同で開催します。戦国ドラまちEXPOのホームページから事前に申し込み下さい。(料金無料)
・一ノ門については2月8日(月)~13日(土)の9時30分から15時30分の間、現場を公開します。柵越しに見学いただけます。
⇒新型コロナウイルス感染症対策のため、現地での解説等は行いませんのであらかじめご了承下さい。