2007年07月31日
調査日誌 7月31日
1区では北側の近代の焼物を含む整地土を掘り下げていきました。西側の溝のラインはみえますが、東側はまだわかりません。 2時期のうち新しい溝は幅が50~60cmぐらいなので、見えるはずなのですが・・・明日再挑戦します。
午後からは関係者数人で溝の堆積の検討をしました。結果的には、中央から北側あたりには、古い溝(SD-1古)と新しい溝(SD- 1新)の間にモノを廃棄した穴があるのではないかという考えになりました。SD-1古と掘り穴は第2遺構面の遺構でSD- 1古→掘り穴という順番で埋まった後に、道路面の整地をし、そこに第1遺構面のSD-1新が作られる・・・
そうなると、SD-1古は斎藤期でSD-1新は信長期となり、大道は信長以前から存在したことになります。このことを検証するには、 それぞれの遺構の範囲とどちらが後に掘られたものか(切りあい関係)を明確にして、 それぞれの遺構の中の土器を調べてその年代を検証するといった作業が必要になります。
最近天気がいいので土が乾燥してきました。今日は水をまいてシートをかけ、明日、 少し部分的に掘り下げて土坑の範囲を探してみたいと思います。
また、一番深いところで見つかった第3遺構面の川原石ですが、一応堤防の中核部分の可能性を考えていたようですが、 詳しい方にみていただいたところ、構造上堤防と考えるのは難しいということでした。何でしょうか?また別の可能性を考えてみたいと思います。
川原石が出ていたときの様子。(今は手前側は埋まっています)西から見たところです。
2区ではさらに角礫の層を掘り下げましたが、先日出ていた川原石の砂岩円礫は角礫中にも見られることから、 混じっているだけということになりました。残念。
おそらく、山側に石垣があって、それがある時期に崩されてその裏側に詰められていた石(裏込石)が流れ出たのではないかと思われます。 さらに明日も掘り下げていきます。
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- 18:29
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清々しさ、美しさ、清潔さにおいて、私はこの宮殿と比べられるものをみたことがありません。


