1区の調査成果  戦国時代のメインストリートの一部を確認!

信長居館発掘調査 1区(武家屋敷地) の調査成果

6月12日から調査を行っていた第1区は、戦国時代の武家屋敷地があったと考えられる地点です。近現代の整地土を掘り下げていくと、 戦国時代の溝や建物跡が出てきました。江戸時代は畑地で、人は住んでいなかったようです。

調査区は近現代のゴミ穴が多く、戦国時代の地面が残っていない場所もありましたが、重要な成果として戦国時代の「大道」(おおみち) と考えられる南北方向の道路の側溝と武家屋敷地を区画する東西方向の溝を確認することが出来ました。

 

南北の直線道路「大道」

江戸時代前期の承応3年(1654)に描かれた絵図「濃州厚見郡岐阜図(のうしゅうあつみぐんぎふず)」(名古屋市蓬左文庫蔵)には、 調査区のすぐ東側に南北の直線道路が走っている様子が描かれています。江戸時代の検地帳などをみるとこの道は「大道」 と呼ばれていたようです。現在も岐阜市歴史博物館周辺には「千畳敷下大道西」という字名が残っています。

 

「大道」発見の意義

江戸時代の絵図に描かれている道路が戦国時代までさかのぼる可能性が高くなりました。その場合、 現在の岐阜公園内を南北に通る道路のルーツは、戦国時代までさかのぼることになります。

戦国時代の岐阜城下町の土地区画が発掘調査ではじめて確認できた点でも、その意義は大きいといえます。

 

第1区で見つかった遺構

 第1遺構面 斎藤期から1600年ぐらいまでの時期

・    「大道」(おおみち)と考えられる南北方向の道路の側溝(幅60cm、深さ30cm) を確認。

・    武家屋敷地を区画する東西方向の溝を確認。

・    建物の柱穴や掘り穴を確認

 

※ゴミ穴の断面や底の部分では、さらに古い時期の遺構(第2、3遺構面)も見つかっています。

第2遺構面 斎藤氏時代、それ以前か?

・    建物の柱穴や掘り穴を確認。

第3遺構面 戦国時代かそれ以前

・    川原石を使った石組み遺構の一部を確認。

 

遺構検出状況(南から)

 

遺構検出状況(南から)

白線で囲った部分が遺構。大きな穴は近現代の撹乱です。

手前1/3も近年の撹乱で遺構面が削られ、第3遺構面の遺構が見えています。

 

 

 

検出遺構2

 

  

1区で見つかった遺構(第1遺構面)(北西から撮影)


 

 

 

 

検出遺構

 

 

 

 

南西から撮影

 

 

 

イメージ図

 

 

 

 

岐阜公園周辺のイメージイラストです。イラストを左右(実際には左が北)に走る道路が「大道」です。