火災で焼けた建物跡を確認しました! 3区

長らく更新しておりませんでした。申し訳ございません。
3区の調査成果について、本日記者発表を行いました。ここでは何回かに分けてその内容をご紹介したいと思います。

3区下段では戦国時代と考えられる火災の跡と建物の礎石を確認しました。

 

真っ赤に焼けた建物の壁土を含む焼土層が60cmもの厚さでみられ、その下から建物の礎石を1基確認しました。

概要
・ 60cmの厚さで焼土層が堆積、焼土層の中には壁土が多量に含まれる。
・ 壁土の厚さは6、7cm。
・ その下には面的に炭層があり、幅25㎝程度の礎石を確認した。礎石上面にも薄く炭が堆積していた。
・ 礎石は1基だけなので、建物の規模や方向、性格については不明。
・ 炭層下の床面はあまりしまりがなく、土間状ではないようである。
・ 上段には焼土などはなく、様相が異なる→上段から動かされた焼土層ではない。
・ 遺物から焼失年代は特定できないが、その後この場所に遺構が作られていない点を考慮すると、 1600年の関ヶ原合戦の前哨戦で岐阜城が落城した際の火災の可能性がある。

 下段平坦地には確実に建物が存在していたことが明らかになりました。これまで未調査だった場所で、 火災で焼けた建物跡が良好な状態で残存していることが判明した点でも大きな成果といえます。

 

10.30 0383区の下の段を山側(東側)から見たところ

真っ赤に焼けた建物の壁土を多量に含む焼土層が全体に見られます。

中央の穴は近代のゴミ穴で礎石はその穴の底で確認しました。

 

 

12.05 067 

焼土層の下には炭があり、その下に礎石があります。

 

 

 

 

 

礎石

 

礎石のアップです。

光線の具合で変な色になっておりますがご容赦ください。