2008年06月 アーカイブ

調査日誌 6月30日

先週金曜日に、「平成20年度 第1回信長居館発掘調査専門委員会」を開催しました。この調査では、城郭、歴史、歴史地理、庭園、造園等各分野でご活躍されている先生方に発掘調査の指導をいただいております。今年度は定期的に4回開催する予定です。

この日は発掘調査現場の視察と現地指導をお願いしました。途中経過なので、踏み込んだ議論をしていただく材料と時間がありませんでしたが、調査を行う上での注意点やご意見をいただきました。

明日から7月です。まだはっきり分からないところが多いですが、戦国の遺構の確認をさらに進めていきたいと思います。

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委員会での視察の様子

調査日誌 6月24日

週末はかなり雨が降りましたが、昨日今日は穏やかな天気でした。

月曜日は調査区にたまった雨の水汲みからスタートしました。雨は現場の壁が崩れたり土が流れたりするので、あまり好ましくありません。

今回一番ひどかったのが、A地区の園路部分から西側です。

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写真の中央から手前は昨年の埋め戻した調査区を復旧した部分です。州浜と考えられる石敷きは白い土のうの左側でその石敷きのすそをとめていると考えられる石列が土のうの右側に見えます。

 

なんと今日はこの石列の部分から水が湧きだしていました。昨年は夏から秋に調査したせいか、こういうことはありませんでした。現場のすぐ上方に小さい滝があるのですが、その周辺にたまった水が地面をしみこんできたようです。水がしみこまない粘土層等が戦国の遺構面付近にあるのでしょう。それにしてもまるで本当の池に水が注ぎ込んでいるようで、庭園の可能性を感じさせる出来事でした。

 

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池に流れ込む水の様子?

 

と、喜んでいる場合ではありません。現場が傷んでしまうので、すぐ作業員さんにも知恵を出していただき、水の流れを良くしてしみこまないように工夫していただきました。次はこうならないようになるとよいのですが。

調査日誌 6月20日

現在13箇所のトレンチを同時に調査しているため、お伝えしたいことがいっぱいあります。雨が続いた日など余裕があるときに、ちょっとまとめてみたいと思います。

さてA地区では以前、通路部分を調査するために重機で掘り下げたのですが、このときは東にある岩盤に沿って作られている側溝を残していました。しかし調査の結果、戦国時代の面が思ったより奥に続いていることが分かり、この側溝をはずさないことには岩盤と州浜の可能性のある石敷きとの関係が分からないことが判明したので、今日は重機を入れて調査区を広げるための掘削を行いました。

山際がどのようになっているのか、今日広げた範囲を改めて掘り下げていきたいと思います。

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岩盤付近の様子です。これまではこの側溝を残して掘っていました。

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側溝の石組みをはずした様子です。

岩盤と戦国時代の面がどのような構造になっているのか、確認していきます。

調査日誌 6月17日

 

明治大帝像のあるC地区の様子です。

C地区は4か所調査を行っていますが、これはその一番西側です。

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調査前の写真です。北東から撮っています。写真の右手には板垣退助像のところに降りる階段があります。右奥に見えるのは関係者以外立ち入リ禁止の道です。

 

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表土を取り除いた段階で山側は石がガラガラと入っていました。新しい時期と考えられるので掘り下げると、その下から平たんな面が出てきました。手前側は浅くて地面が削られているようです。

この場所は現状よりもっと山側まで平たんな場所が続いていたようです。

ここからはさらに慎重に調査を進めていきたいと思います。

調査日誌 6月13日

今日岐阜市の気温は31.4℃まで上がったそうですが、湿気が少なく暑さをあまり感じることなく発掘作業ができました。

本日はA地区東側の様子を報告いたします。

A地区東側は三重塔の下の道路部分になります。 写真の場所は西から見た作業風景になります。

 

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写真手前に巨大な石が見えています。これは昨年度調査で見つかったもので、州浜と考えられる石敷きに取り囲まれていた庭石のようなものかもしれません。昨年度調査地点と一続きになるように掘削作業を行いました。

写真奥で一人作業を行っているのが今年度の調査範囲となります。道路の盛り土が厚く、安全のため階段状に掘削を行っているため、幅1メートル、長さ2.5メートルくらいの範囲で下の様子を探っています。慎重に掘り下げて、昨年度調査地点で見つかった州浜の続きが発見できればと思っています。

調査日誌 6月12日 作業休止

本日は雨天のため、作業をお休みします。

調査日誌 6月11日

今日もA地区の状況を報告したいと思います。

写真の場所はA地区の平坦地でも一番北側に設定したトレンチです。

昨年、庭園の池の可能性の高い遺構を平坦地の中央部分で確認しましたが、その北側がどうなっていたのかを調べるために調査を行っています。

表土をめくった段階で、礫の層が現れました。明治以降に堆積した土と考えられますが、土器などが非常に少ないのが判断に困ります。土に含まれているもので年代を推定するのですが、あまりないと掘っていて不安になります。

部分的に掘り下げた結果、新しい時期ということがわかりましたので、また全体に掘り下げていきたいと思います。

 

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南からみた様子 この右手には三重塔があります。

調査日誌 6月10日

  本日も晴天に恵まれ、調査がやりやすい日でした。土の色も見やすく、各調査区とも土の変化を見極めつつ掘り下げを行っていきました。

本日の写真は鵜飼市民講座の現場見学の様子です。約80名の参加がありました。本日までの調査状況および現段階でわかっていることを説明できたいい機会でした。

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A-4トレンチでの現場見学の様子。調査日誌6月4日の写真とほぼ同じ位置、方角から撮影しています。

調査日誌 6月9日

今週も調査が始まりました。今日は時折晴れ間が差す発掘日和となりました。今日は前回の調査で庭園の可能性が高い遺構が見つかったA区の状況をご紹介します。

 

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A区の北側の様子です。

庭園の可能性が高いと考えられる遺構の北側に位置する調査区です。庭園の北には何があったか非常に興味がそそられる地点でもあります。 今は溝状に一部深く掘り下げて土の堆積状況を確認しています。

この確認用の溝は深いところで30~40センチほどあります。

 

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A区の中央付近の様子です。

昨年の調査区(2区)に接する調査区です。東西2m×南北10mの大きさがあります。こちらは昨年度の調査の成果から,現在の地面からさほど深くないところに戦国時代の土があることがわかっているので慎重に掘り進めています。手前に深く開いている穴は昨年度の調査区の一部で,土の堆積が今年度の調査区側とどのように対応するのかを知る手がかりにしています。

調査日誌 6月6日

  本日は6月になって初めての晴天でした。天気を気にしないで調査を進めれることは非常に助かります。

本日は、明治大帝聖像がある平坦地(C地区)での調査について報告します。写真はC-3トレンチと呼んでいる場所の様子を撮影したものです。ここでは山際の植え込み部分の土盛りを調査することによって岩盤および平坦地との関係について調べることを目的としています。

5月半ばから掘り下げていき、オレンジ色の土を確認しました。土盛りの表面からオレンジ色の土までは約1.7mの深さがあります。土盛りからは缶の錆びたものなどが見つかっていましたので、新しい時代の土であることが確認できました。今はやっと新しい時代の土が取り除けた段階です。今後は戦国時代の土を目指して慎重に掘り下げていく予定です。

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C-3トレンチの様子。写真左上に山の岩盤が見られます。

調査日誌 6月4日

今日は一日中曇りでした。木の下が多いので、多少の雨はしのげますが、暗くて土の色が見にくいのが難点です。

写真はA地区で、三重塔のしたあたりから南西を向いて撮った写真です。

A-4トレンチと呼んでいますが、ここでは昨年見つかった石敷きの続きが出ないか確認するため調査を行っています。右下にある石は岩盤かもと思ったのですが、表土を下げた段階でどうも巨大な石であることがわかりました。もしかしたら州浜から頭を出していた岩の可能性があります。

浅いところで戦国の面が出る可能性があるので、一部先行して溝状に掘り下げています。

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調査日誌 6月3日 作業休止

本日は朝から雨が降っているので、現場作業をお休みします。案内所はオープンしております。

ところで、戦国カウンターがレベル3になりました。ありがとうございます。

一度ご覧になった方、携帯、会社ネットワークからご覧の方はカウントされないので、今までに500人以上の方に見ていただいたことになります。最大でレベル6まであって、最後は戦国武将に成長するそうです。

調査日誌 6月2日

今日から現場も6月です。いきなり天気が不安定になったと思ったら、今日から梅雨入りだそうです。

作業をしていると10時ごろには雨がぽつぽつと降ってきました。でも、木の下は小雨程度では濡れることがないので、 作業は一日行うことができました。

滑りやすくなるので見学の方も足元にはお気をつけください。

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A地区、道路部分の調査区の様子

道路面から1.6メートルぐらいのところで桟瓦が出てきました。横から見るとへの字型をしている比較的新しい瓦です。

昨年の調査でも出土しており、おそらく明治時代以降の面の上に落ちているものと考えられます。戦国時代の遺構があるのはあと、2、 30cmぐらい下でしょうか?ここからは慎重に掘り下げていきます。

 

 

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南側から見た様子です。

道路の下には盛土が厚く堆積しています。

写真右側は安全のため、階段状に残しているところです。

ここも一部掘り下げて確認したいと思います。