2008年10月 アーカイブ

信長学フォーラムの申込み受付を終了しました。

信長学フォーラムの申込みですが、定員に達したため受付を終了させていただきました。募集を開始してからメール・ハガキ共に申し込みが殺到し、あっという間に埋まってしまいました。担当者はじめ関係者一同も予想以上の反響に驚いております。これからの申込みを考えておられた方には大変申し訳ありません。フォーラムは来年以降も開催する予定ですので、次回は募集方法を検討したいと思います。

2日目午後の現場見学会については参加自由ですので、よろしければご参加ください。詳細が決まりましたらこのブログでお知らせしたいと思います。

メールマガジンのお問合せ

月1回程度になっていますが、メールマガジンを発行しております。左のコンテンツで申込みをいただくのですが、 10月11日にメールマガジンに登録された方のアドレスが未入力でした。お心当たりのある方は再度登録をお願いします。

この場を借りて呼びかけをさせていただきました_(._.)_。

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A地区の調査成果

明日10月11日(土)は午後1時から3時まで現地公開を行います。A地区もご覧いただけます。

 

A地区は現在の三重塔下の平坦地です。昨年、庭園の州浜の可能性のある石敷きを検出したことから、今年は範囲を広げて池の広がりと建物の確認、敷地範囲の特定に主眼をおいて調査を行いました。

新聞記事には出ませんでしたが、A地区についても成果がありましたので、ここでお知らせします。

主な検出遺構:
石敷き遺構、巨石、池状の落込み、石垣
巨石の据付痕?

A地区模式図

A地区の模式図です。

・検出した遺構は池に関係すると考えられます。
・北側はもともと自然の山だった部分が明治時代以降に削られ平らになった様子。山が庭園の背景として利用されていた可能性もあります。巨大な石は庭園の景石とも考えられます。
・中央部には池があったようで、それが近代に埋め立てられています。埋土には壁土が多く含まれていました。
・建物は今回の調査範囲外(南部)に想定されます。
・南端、西端部で石垣の痕跡を確認、敷地の範囲がおおよそ判明しました。

 A地区石敷き遺構

岩盤まで続く石敷き
川原石とチャートの石敷きが東側の岩盤まで延びています。

  A地区池状の落ち込み

池状の落ち込み(深さ60cm、南北幅6.5m)
底には粘質の土が張られています。埋土からは近代の焼き物が見つかっています。

A地区巨石

巨石(東西長さ3m以上)
巨石はもともと立てられていた可能性があります。

10月11日 現地公開を行います

これまで調査を行っっていたA、B、C地区について現地での説明会を行います。多数のご参加をお待ちしています。

日時:10月11日(土)13:00~15:00

場所:C地区 明治大帝像前

少雨決行 中止の場合は当日朝9時までにブログでお知らせをします。

H20調査位置図写真の場所

発掘調査中間報告 記者発表その2 B地区

B地区―上段で石垣と水路に囲まれた区画を確認。建物が存在か?
主な検出遺構:石垣、石組み溝

・ 敷地の東側、南側で石垣を、西側で川原石を詰めた石組みの溝を確認。

・ 南側の石垣には裏込めに川原石が多用されているが、山から流れる水の排水を意識した構造と考えられる。

・ 上段の石垣と溝に囲まれた部分に建物跡がある可能性が高い。

 B地区模式図

B地区の模式図です。右が山側に、左がC地区側になります。

石垣は南東部を中心に見つかりました。石垣と水路に区画された中には建物が存在する可能性が高いですが、礎石など直接的な遺構はまだ確認できていません。

 

B地区東側石垣

東側の石垣です。崩れており下方部分しか残っていませんが、本来は4,5段分存在していたようです。山側の土留めとして機能したのでしょう。これより東側には平坦な場所はないため、ここが居館の最奥部にあたると考えられます。

B地区南側石垣と岩盤

南側の石垣です。左側(東側)に向かって高くなっています。こちらの石垣の裏には川原石が詰められており、東側の石垣とは作り方が異なります。すぐ後ろに岩盤があるため土留めとしてではなく排水を意識した構造と考えられます。

B地区石組み溝

石組みの中に川原石が詰められた溝です。手前の川原石は岩盤に平行しており、上から見るとT字状になっています。南側の石垣と川原石の続きになっているようで、山側から流れてきた水をこの石組み溝で谷側に流したと考えられます。建物の雨落ち溝の構造によく似ていますが、現段階ではそこまでは特定できていません。溝の左側に礎石が2基ありますがこれはB地区下段の建物との関係が注目されます。2基しかないのかどうか、周辺をさらに確認する予定です。

 

下段では昨年、礎石と壁土を確認しており、蔵か茶室等の建物を推定しましたが、上段にも建物があったと考えられることが分かったため、下段についても改めてその性格を再検討する必要が出てきました。

発掘調査中間報告 記者発表その1

しばらく更新をできなくて大変申し訳ありませんでした。

本日、調査の中間成果の記者発表を行いました。個別の成果は明日以降に順次紹介していきたいと思いますが、今日は主な遺構とそこから考えられる居館の全体像を速報的にお知らせします。 居館構造図2

 

上記の絵はこれまでの調査とフロイスの記述から考えられる信長公居館の構造案です。

実は、これまで居館本体はC地区にあると考えていたのですが、今年調査を行ってもその場所で建物の痕跡は確認できませんでした。その代わり、昨年分からなかったB地区上段で石垣と水路に囲まれた区画が見つかりこの場所に建物がある可能性が高いことが分かってきました。全体を総合的に考えると、どうもB地区に重要な施設がありそうで、A、C地区には高層の建物は想定しにくいのです。

フロイスの記述には1階には20の部屋があり・・・とありますが、これはA,C,D地区にあった建物群を1階部分と認識していたのではないかという解釈をすると図のような構造が考えられます。

もちろん確定ではなく、今後の検証により変更していくことはあるとは思いますが、現時点での認識として図を公表することとしました。今後の検討の叩き台になればと考えています。

 

 B地区模式図

B地区の模式図です。石垣と溝に囲まれた区画があることが分かりました。礎石はまだ見つかっていませんが、中に建物が存在した可能性が高いと思われます。

B地区南側石垣と岩盤

南側の石垣です。

 

今後の予定について

現地公開・説明を行います。

10月11日(土) 午後1時から明治大帝像前にて説明 3時まで公開(少雨決行)