2007年11月23日
特別公開!信長の奥座敷
本日11月23日(金・祝)に現地公開を開催しました。寒かったですが快晴に恵まれ、多くの方に参加いただくことができました。 まことにありがとうございました。
今後3区の調査をあと少し行いますが、2区は埋め戻しを行う予定です。
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2007年11月23日
本日11月23日(金・祝)に現地公開を開催しました。寒かったですが快晴に恵まれ、多くの方に参加いただくことができました。 まことにありがとうございました。
今後3区の調査をあと少し行いますが、2区は埋め戻しを行う予定です。
2007年11月19日
本日も、3区の実測作業、部分的な掘り下げを行いました。
11月23日(金・祝)の10時~12時には「特別公開!信長公の奥座敷」として2区、3区の現地公開を行います。
普段は柵の外からの見学ですが、この日は柵の中まで入っていただき間近でご覧いただきたいと思います。 ぜひ岐阜公園に残された本物の歴史をご覧いただきたいと思います。
小雨決行ですが、雨が強く中止する場合は8時までにこのブログでお知らせしたいと思います。
2007年11月15日
今日は、3区の東側で集石を確認するためにサブトレンチを設定し、掘り始めました。断面で土の堆積、 石の重なりを確認してみたいと思います。
2区も引き続き埋め戻しを一部行いました。
明日は3区の公開日になっております。
10時から15時までです。お昼は鍵をかけてしまうので入れません。よろしくお願いします。
2007年11月12日
今日は、雨が降ったりやんだりで、結局作業ができませんでした。
実測を進めたかったのですが、今日は断念して、案内所で遺物の洗浄等を行いました。
2007年11月10日
一日遅れましたが、昨日の様子をアップします。
3区の下の段は現在実測中です。近現代の堆積の下から石と焼けた土などが見つかっています。真ん中に見える穴は近代のゴミ穴です。
遺物がなく年代がわかりませんが、記録をとった後、さらに調べてみたいと思います。
3区の上
の段も実測中ですが、 実測のあとに写真手前(東側)
の石がはずしてもいいものかどうか確認していきたいと思います。
金曜日は3区の公開日でしたが、30人強のかたが見学にこられました。
1,2区と違って現場のそばまで入ってこれるので、より近くでごらんいただけると思います。23日の特別公開では2, 3区ともフェンスの中で見ていただく予定です。
明日は、2区の公開説明の日ですが、予報では天気があまりよくありません。
雨天の場合は中止させていただきますのでご了承ください。
2007年11月07日
本日は3区の基準杭の設定と埋め戻しの準備作業を行いました。3区は急斜面なので、 きちんと測って設定しておかないと図面が合わなくなってしまいます。
しかし3区は一日中、日が当たらない所なので寒かったです。実測を少ししましたが、鉛筆を持つ手がかじかんでしまいました。 これからの時期、記録をとるのは寒さとの戦いですね。
2007年11月05日
本日は3区の写真撮影を行いました。
明日以降は遺構の実測を一部行い、断ち割り調査をしていく予定です。
写真なくて申し訳ありません。
2007年10月31日
昨日、今日は埋め戻し用の砂袋の作成、運搬を中心に作業を行いました。
現場作業は多くはできませんでしたが、3区東側のベルトはほぼ掘れました。同じように東側に石が多く出てくるのかと思ったら、 あまり石はなさそうです。明日以降、丁寧に掘り下げて、同一の面まで掘り下げていきたいと思います。
2007年10月26日
本日は雨天のため、作業・現地公開を中止いたします。
案内所では出土した資料を見ていただくことができます。
今日は整理作業を行いやすいように、一部模様替えを行う予定です。
2007年10月19日
本日は雨天のため、作業と現地公開を中止させていただきます。
ご了承ください。
土曜日はお休みさせていただきます。
あさって日曜日9時半から12時半には2区の現地公開、説明を行う予定です。
2007年10月16日
3区では午前中のみの作業です。西端の川原石が出ている部分の清掃を行い、写真撮影を行いました。白線で引いている部分より上(西側) に粘土質の土が見られ、その部分に川原石が埋まっている感じです。粘土質の土の中には炭が混じっています。ただ、 年代を推定する材料となる遺物がありません。戦国時代のものである証拠がない状態です。また、精査をしながら、 部分的に調査区を広げて確認していきたいと思います。
東から撮影
午後は何をしたかというと、2区の埋め戻し用の砂袋の運搬を行いました。車で運べないところは人力でリレーしました。結構大変ですが、 この袋を敷き詰めた後に埋め戻しをすると遺構の保護もできますし、追加で調査するときもすぐに掘り返すことができます。
砂は少なめに入れたはずなんですが、中にはとても重いものも・・・
今日は午前中、2区の調査成果についてNHKの取材がありました。当日のお昼と夕方のニュースで流れるそうです。
2007年10月15日
昨日の日曜日には、2区の現場を公開して説明を行いました。公開時間は3時間ほどでしたが、多くの方が見学にきてくれました。
2区は平日のほかこれから毎週日曜日、9時半から12時半の午前中に公開を行います。 (11月18日まで)雨天の場合はお休みしますので、その際はブログでお知らせしたいと思います。
さて3区の調査ですが、東側(山側)で石がまとまって確認されています。一部は石が並んでいるようにも見えます。現在、 新しい時期の土を取り除きながら、石の輪郭を出している最中です。
西から撮影
また、調査区西端では、丸い川原石が出てきています。自然のものではなく、人為的に持ち込まれたものです。
2007年10月12日
新聞各社で2区の調査成果を報道していただいたおかげで、今日は多くの方が見学に来ていただけました。 2区は雨でお休みするとき以外は平日と日曜日に見ることができます。
さて、3区の掘り下げは大分メドがついてきました。3層としている赤褐色砂礫土の上まで掘り下げました。 壁際のサブトレンチで一部この土を掘りましたが、今のところかわらけの破片などが数点出ている程度で、 明らかに新しい遺物は含まれていないようです。
一番下の土が3層です。その上の土にはガラスなど新しいものが含まれています。
調査区東側では石が多く見られます。まだ新しい土があるので、石を動かさないように少しずつ掘り下げました。 大きめの石がいくつか出てきています。
2007年10月10日
今日も土の色と、中に含まれている遺物をみながら掘り下げました。今日の段階でもガラスが入る土があります。 その土を取ると固い面がありますが、今日の段階では遺構は確認できません。
今日は写真がありません。申し訳ありません。
2007年10月05日
3区では 新しい土を掘り下げを行っています。山から大きめの石が流れ込んでおり、今日はその範囲の確認と除去を行いました。 ビール瓶の破片が石の下敷きになっているので、戦国の面まではまだまだかかりそうです。
なお、調査区の西側と東側では地表面で2m近い高低差があります。 平坦地があれば山側では2mの深さまで掘り下げることになりますので、まだこれから大分掘り下げていく必要があります。
ちなみに、1区の標高は約19m、2区の標高は約32m、3区の標高は46m前後です。
山から崩れてきた石の様子です。南西から撮影。
調査区中央部の壁の様子です。中央の黒い土は近現代の炭層です。その下に赤褐色の砂礫層があります。 その下を下げたところ別の炭層があります。年代は今のところわかりませんが、赤褐色砂礫層にはコンクリ片がありました。 表土より60cm位下げたところですが、まだ新しい時代なのかもしれません。
2007年10月04日
3区では今日も1層の掘り下げです。
山から崩れてきた礫層で掘りにくく、なかなか平坦地の土を掘るようにはいきません。
今日は午前中に東海ラジオの取材がありました。といっても電話録音なので、事務所の電話でしゃべっただけですが。10月10日(水) の午前8時15分から放送される予定だそうです。
2007年10月02日
今日も3区では1層の掘り下げです。
この土は缶ジュースのプルトップやビール瓶などが最近のものが入り込む土です。
今日は北壁などで部分的に掘り下げ、土の色や質が変わるところを探していきました。
2007年10月01日
今日から10月です。急に朝が寒くなり秋らしくなりました。今日は2区で実測作業、3区で1層(山から崩れてきたチャートの礫層) の掘削を行いました。
天気予報は30%だったのですが、午前中から弱い雨が降り出したため、午後は作業を中止にしました。
2007年09月28日
本日も昨日と同じ作業を行いました。
2区では実測作業、3区では表土を剥いだ後、1層の掘り下げを行いました。
ガラスなど新しいものがいっぱい入っている土です。
調査区の両端ではかなり高低差があるので、山側はずいぶん土が堆積していると考えられます。 そのあたりの土の厚さも確認しながら戦国時代の地面まで下げていきます。
ところで、2、3区では蚊がいっぱいいます。蚊取り線香を焚いたり、虫除けの機器を装備していてもまとわりついてきます。 実測で線を描いている時には気にすると線がゆがむので、たとえ血を吸われているのがわかっていてもガマンです。
調査の公開は今日までの予定でしたが、実測作業がまだ残っていますので、来週も見学可能です。蚊に気をつけてお越しください。
3区の様子です。
よく見ると現場に蚊取り線香が・・・
2007年09月13日
最近は、夜に雨が降り朝やむといった感じで、なかなか天気が安定しません。
仕事柄、朝起きるとまず天気や雨の量が気になりますね。
最近はインターネットで細かい予報を見ることができるので、便利さを痛感します。
さて、2区では礎石みたいな石や石列、大きな石(岩?)などが見つかっていますが、 なかなかこの場所の性格を特定するモノが出てきません。遺構面の上部には石垣の中に詰められていたと考えられる石がたくさん出て、 山側に石垣があったと思うのですが、その痕跡もまだ確認することができません。
礎石のような石も小型で、周囲に同じような石がないので、礎石と呼んでいいのか疑問があります。そこで、 その石を中心に南側に幅1.2cm、長さ3mの調査区を南側に張り出す形で拡張することにしました。 明日からは部分的に分からないところを検討しながら、拡張部分の掘り下げを進めて行きます。
1区はフェンス撤去しました。昨晩の雨でぬかるむ場所があります。乾いたらならしたいと思いますが、立ち入りはご遠慮ください。
大変申し訳ありませんが、木・金は担当者休みのため更新できません。ご了承ください。
現場は調査を行っております。
2007年09月11日
今日は1区の埋め戻しをしました。6月12日から調査を開始したので、追加を含めて合計3ヶ月調査を行ったことになります。まず、 遺構面を保護するために砂を30cmほどいれて、それから重機で埋め戻しました。
埋め戻しの時、担当者は今まで調査した現場が見れなくなるさみしさと、肩の荷が下りた安堵の気持ちを感じます。埋めている最中、 雨と暑さに悩まされたことを思い出したりしていました。
夕方、埋め戻しが終わったころに雨が降り始めました。後片付けは残っていますが、あすから2区に集中して調査を行っていきます。
重機と人の手で細かいところにも砂を入れていきます。
砂ですっぽり覆われた様子。
重機で埋め戻している様子です。
夕方にはすっかり埋め終わってしまいました。作業員の皆さんお疲れ様でした。
2007年09月07日
今回の台風、首都圏は大変でしたね。
岐阜は夜に風が強くなりましたが、現場のほうも大きな被害はなくて一安心です。
1区では土層観察用のアゼを取っている最中に、アゼの真下から石積み状の遺構が出てきました。 最後の最後にいろいろ見つかるもんですね。でも発掘調査ではよくある話?かもしれません。
浅い溝を掘り、そこに砂岩の石を積んでいますが、東側は積み方はあまり規則性はありません。一部の石が火を受けて変色していました。
用途としては塀などの基礎が考えられます。今日は検出と写真撮影を行いました。来週月曜日に実測を行い、火曜日から埋め戻す予定です。
今週末は雨も降る予定がないので、シートを取った状態ですので、土日にもごらんいただけるかと思います。
写真中央が石積み状遺構です。
上から見たところ(上が東)
赤く変色している石があります。
2区は、戦国時代の地面まで下げつつ、土層観察用のアゼの断面の様子を実測しました。
2007年09月06日
今日は、1区では調査区北側の土層観察用のアゼを壊して戦国の面まで出す作業、断面図に土の色を記録する作業、 2区では戦国時代の地面の検出作業をしました。
残念ながら昼前に雨が降り始めてしまい、今日の調査は午前中で終わることになってしまいました。 明日も台風の影響で雨の可能性が高いようです。
2007年09月03日
今日が9月最初の現場です。先週は後半に雨に降られてなかなか調査ができませんでした。
1区では調査区にたまった水をみんなで汲み出した後、先週に引き続き実測作業をしました。今週中に図面を書いて、 来週には埋めはじめたいと思います。
2区も先週と同じ作業です。少しづつ戦国時代の地面まで掘り下げています。
8月にはたくさんの方が発掘現場に足を運んでいただけました。
案内所を見学された人は1ヶ月で3,590人、一日平均で115人でした。一番多い日は12日、14日で両日とも279人、
県外からもたくさん来ていただけたようです。
ありがとうございました。
ところでたまにお話しするのですが、岐阜公園にだけ歴史が眠っているわけではありません。皆さんのすんでいる地域にも歴史があるはずです。
これをきっかけに地域の歴史にも関心を持っていただければうれしく思います。
2007年08月31日
本日も雨天のため休止します。
9月からは月~金曜日の調査になります。土・日はお休みさせていただきますのでよろしくお願いします。
2007年08月30日
今日は雨天のため作業を中止します。
今週は天気が悪いですね。お盆あたりの暑さを考えれば涼しくていいですが。
2007年08月23日
本日は降雨のためお休みしました。8月に入ってからはじめての休みです。
晴天続きだと現場の土が乾いてしまいますので、これで潤えばと思います。
朝、作業休止の記事をあげたつもりがUPされていませんでした。大変申し訳ありません。
2007年08月22日
1区では遺構の掘削を引き続き行いました。
2区では礎石と考えられる石の高さまで調査区全体を掘り下げ始めましたが、その途中で大きい石が出てきました。 石をよけながら戦国時代の地面まで掘り下げ、この石と地面の関係を確認したいと思います。
今日は名古屋市博物館の子ども向け歴史教室の団体が、現場見学をしていきました。信長居館の話と現在の調査の様子を話をしたのですが、 最後の質問のときに、「ここは事前にボウリング調査はしたのですか?」ときかれました。そんな質問がでるとは想定外でした・・・ (^_^;)
2007年08月18日
今日は1区の作業です。
北側では遺構の平面図作成、中央部では戦国時代の廃棄土坑の掘削、南側では東西溝と南北溝の合流点の調査を行いました。
ところで現在岐阜市歴史博物館では特集展示「岐阜城千畳敷遺跡の調査から」を行っていますが、 それに関連して希望する方を歴博ボランティアさんが発掘現場まで案内していただいています。現地では私たち調査員が説明するのですが、 お盆前後から大勢見えるようになりました。
案内所では管理の問題であまり出土したものを展示できないので、 これを機会に過去の調査で見つかったものをごらんいただければと思います。
ちなみに案内所では発掘道具の展示コーナーをリニューアルして、第1区の調査成果を紹介しています。こちらもお立ち寄りください。
パネル展示です
破片ですが、遺物も展示しています。
2007年08月16日
最近、暑い話題ばかりで申し訳ありません。
今日は全国各地で最高気温をマークしています。岐阜市でも39.8度と過去の最高記録を更新しました。
今日は1区の作業をしましたが、さすがに日差しと気温の高さを考え、午後は作業を取りやめました。安全第一ですので。
皆様もお体にお気をつけください。
2007年08月15日
今日も暑いです。岐阜は38.4度と今年一番の暑さになりました。
午後には中京テレビさんが突然やってこられて、炎天下の中作業する様子を撮影していかれました。 岐阜が暑い様子を紹介するためだそうです。
昨日から行っていた江戸時代の溝の掘削は終わりました。戦国時代の溝のラインも見つけつつありますが、いかんせんこの猛暑の中、
なかなか作業がはかどりません。
明日もがんばります。
2007年08月12日
今日も2区の作業です。
昨日見つけた炭・焼土がどこまで続くのか南側の壁際に幅20cmくらいの細長いサブトレンチを作って、その部分だけ掘り下げました。 部分的に粘質土がありそこに焼土と炭が混じっているようで、全体に広がっている様子までは確認できませんでした。
山側では大きめの石(長さ30cmくらい)があり、その石を境に土と石の入る感じが違うようです。 石垣や巨石列に関係するものでしょうか?
2区は一週間ほどお休みしますので、来週は1区を中心に調査を行います。
2007年08月08日
1区では前日に引き続き、サブトレンチの掘り下げ、断面観察を行いました。サブトレンチの数は、 ゴミ穴を利用したものも含めて計8箇所です。
南側では側溝の続きがありそうですが、掘るところで今日は終わり、検討し切れなかったのでまた次回に行います。
2区は昨日に引き続き礫をはずしていきました。
中央部のガラガラの石をはずしている途中です。
2007年08月07日
今日は比較的曇りで、作業がやりやすい日でした。
日差しがきついと熱中症の心配もありますし、土の色が見にくくて苦労します。
1区では さらに南側に東西方向のサブトレンチ(深堀調査区)を設けて、掘り下げて溝のラインを探しました。まだ途中ですが、
溝らしき落ち込みラインがやはりあるようです。ほかにも大道側溝ラインに沿って、江戸時代の溝があるようです。
明日も引き続き断面確認を行います。
こんな感じで東西にサブトレンチを入れております。
2区も引き続き掘り下げを行っていますが、山側で整地層(人が盛った土の層)が見つかりました。
新しい時期の土や石をほりさげて下の土を出しているところです。
山側の南側断面です。串を刺している部分より下が整地層、それより上には瓦が入っています。
2007年08月05日
今日は2区の作業です。
前日に引き続き、石垣の裏込め石と思われる角礫を少しずつ掘り下げていきました。
はたしてこの下に戦国時代の地面が出てくるのでしょうか? また山側では石垣もしくは巨石列のあった痕跡があるかどうかも注意してみていきたいと思います。
写真は熟練した作業員が土を削っている様子です。達人の域になると目にも止まらぬ速さで土を削っていきます・・・ (ー_ー)!!
そんなわけはありませんが、石が多い中でも土の色をきれいに削りだしていくのはさすが熟練の技といったところでしょうか。
今日もNHKさんの取材がありました。この様子は8月21日7時30分からの「おはよう東海」中で放送される予定だそうです。 どうぞごらんください。
2007年08月04日
本日は1区のみの作業です。北側で集中的に作業を行いました。
側溝は2時期あるのですが、当初溝の埋土だと思っていた焼土混じりの土は、部分的に掘り下げてみた結果、
西側の掘り穴の堆積の可能性が高くなりました。
また、溝の西側にもう一本浅い溝状の遺構があるようです。
石垣を撤去した北端部でも、サブトレンチ(深堀調査区)を設けて掘り下げてみたのですが、どうやら溝が続きそうにないようです。
明日は、焼土交じりの掘り穴の範囲を確認するために一部掘り下げてみたいと思います。
掘り下げている様子。右側に延長して掘り下げました。
今日は花火大会の日だったせいか、多くの方に見学に訪れていただきました。
写真は担当者が説明をしている様子です。
本日はNHKさんの取材がありました。作業員さんが土器洗いをしている様子をお客さんが熱心に見ていただいています。
撮影は明日もあるそうです。
2007年08月03日
まだ雨は降っていませんが、台風の影響で風も強く降水確率も高いので、本日の作業は休止します。
また発掘調査案内所も今日は閉めたいと思いますのでご了承ください。
2007年08月02日
今日は1区のみの作業を行いました。
まず石垣の平面図に高さを記入(レベル入れ)した後、解体しました。
また前日に引き続き一部掘り下げと土層の検討をしました。
今日は台風の影響もあり風が強かったです。台風に備えてシートを押さえる土のうを作ったり、 フェンスが倒れないように固定するなどで午後は終わってしまいました。
あまり影響がないとよいのですが。
昨日書き忘れましたが、岐阜のケーブルテレビCCNの番組収録が行われました。 発掘調査を含め岐阜公園周辺の歴史を紹介する内容になっていると思います。契約されている方はどうぞご覧ください。 昨日あまり作業していないのはこの収録があったからでした。
『ぎふっCiao!』(15分) 8月10日(金)~31日(金) 月・水・金・日 11:30~、火・木・土 20: 30~
2007年07月31日
1区では北側の近代の焼物を含む整地土を掘り下げていきました。西側の溝のラインはみえますが、東側はまだわかりません。 2時期のうち新しい溝は幅が50~60cmぐらいなので、見えるはずなのですが・・・明日再挑戦します。
午後からは関係者数人で溝の堆積の検討をしました。結果的には、中央から北側あたりには、古い溝(SD-1古)と新しい溝(SD- 1新)の間にモノを廃棄した穴があるのではないかという考えになりました。SD-1古と掘り穴は第2遺構面の遺構でSD- 1古→掘り穴という順番で埋まった後に、道路面の整地をし、そこに第1遺構面のSD-1新が作られる・・・
そうなると、SD-1古は斎藤期でSD-1新は信長期となり、大道は信長以前から存在したことになります。このことを検証するには、 それぞれの遺構の範囲とどちらが後に掘られたものか(切りあい関係)を明確にして、 それぞれの遺構の中の土器を調べてその年代を検証するといった作業が必要になります。
最近天気がいいので土が乾燥してきました。今日は水をまいてシートをかけ、明日、 少し部分的に掘り下げて土坑の範囲を探してみたいと思います。
また、一番深いところで見つかった第3遺構面の川原石ですが、一応堤防の中核部分の可能性を考えていたようですが、 詳しい方にみていただいたところ、構造上堤防と考えるのは難しいということでした。何でしょうか?また別の可能性を考えてみたいと思います。
川原石が出ていたときの様子。(今は手前側は埋まっています)西から見たところです。
2区ではさらに角礫の層を掘り下げましたが、先日出ていた川原石の砂岩円礫は角礫中にも見られることから、 混じっているだけということになりました。残念。
おそらく、山側に石垣があって、それがある時期に崩されてその裏側に詰められていた石(裏込石)が流れ出たのではないかと思われます。 さらに明日も掘り下げていきます。
2007年07月29日
本日は1区の調査を行いました。
北側では石垣の写真撮影を行った後、断面実測を行いました。
また石垣をはずし終わったところでは、近代の整地土を掘り下げ、溝の検出をいきます。 夕方には溝の西側のラインが部分的に見えてきました。
今日までにゴミ穴や一部掘った溝の断面を検討したのですが、どうやら「大道」の側溝は二時期あるようです。 大きい溝と小さい溝が重なっているようで小さい溝は幅50~60cmぐらい、大きいほうは幅90cm以上でこの溝が埋まった後、 小さい溝が掘られているようです。
どちらも焼土で埋まっています。それぞれの溝はいつ埋まったのか、方向は違うのかなど新たな課題も出てきましたが、 部分的に掘って断面を観察しながら答えを出していきたいと思います。
注:土層のラインは検討中のため変わるかもしれません。午後からは光線の関係で土の色が非常に見にくいのです・・・ 言い訳するようですが(^_^;)
溝の断面(北側)
右側が小さい溝、下が大きい溝です。大きい溝が埋まった後、小さい溝が掘られています。
溝の断面(中央)
右が小さい溝、左が大きい溝です。北側断面と違って、焼土があまり入っていません。
2007年07月28日
中央部にみえたガサガサの角礫層からガラス片が出てきたので、この礫層は新しい時期のものであることがわかりました。 そこで徐々に石をはずしていくと5cmから10cm下で丸い川原石のような石(直径10cm前後)が見えました。
ここは山のふもとで川原石が自然に落ちている場所ではありません。と、いうことは人為的に持ち込まれたものになります。
ふと頭をよぎるのはフロイスの「日本史」に書かれた庭園の記述・
・・
しかし、あわててはいけません。その石が戦国時代の地面にのっているものかどうか確認する必要があります。
明日は1区のみの調査になりますので、来週さらに確認を行っていきます。
なお、この発掘調査では担当者が2名いるのですが、夏休み期間中は土・日を交代勤務にしております。 人数の関係もあって1区か2区どちらか片方のみで調査を行っておりますのでご了承ください。今日はブログ担当者お休みのため、 電話で打ち合わせした情報を元に書いております。
明日は、1区の「大道」側溝を平面的に確認すべく、戦国時代の面まで掘り下げていきます。
2007年07月27日
今日、東海地方が梅雨明けしました。いよいよ夏本番という感じです。
1区では、前日実測した石垣の解体を行いました。ただ北側では解体した石垣より一段階古い石垣が出てきたため、 再び写真撮影と実測する必要が出てきました。古いといってもガラスや新しい焼き物が混じっているので近代のものです。
北側では近代石垣と戦っていますが、中央から南側では戦国時代の遺構面を目指して、 直上にのっている土をいよいよ掘り下げをはじめました。
南側には炭・焼土交じりの土が残っており、これがおそらく「大道」側溝の埋土と同じ性格の火災後の整地の土と考えています。 厚さ10cmから15cmほどでしょうか。戦国時代の「かわらけ」という素焼きの土器(土師器)の破片が多く混じっています。 一部に炭化した穀物の粒がまとまって見られたので写真と位置を記録したあと土ごと取り上げました。米粒のようですが、 詳細は分析してみたいと思います。
一定範囲にしかないのですが、柱穴などの掘り穴の中に入っているのではなく、 整地の土に混じっている感じです。取り上げたあと、 遺構の中でないことを再度確認しました。
2区は壁際を一部掘り下げて土の堆積の確認をしました。結果、西側の石は新しい時期の堆積であることが確認できました。
同様に山側(東側)でも一部掘り下げた結果、30cm下で桟瓦(断面が「へ」の字の瓦)が出てきたので、 そこまでは掘り下げられることがわかりました。
出てきた桟瓦はおそらく明治時代ごろのものではないかと思われます。
2007年07月25日
今日は午前中1区の調査をお休みしました。その間何をしていたかというと、市役所内で明治時代の地図の調査をしておりました。 今より少し前の時代の「大道」の様子を知る重要な資料です。このころの道路は今よりも西に振っているようで、どちらかといえば「大道」 のラインに近いようです。
午後からは、近代石垣をはずす作業をしました。
2区は表土を取り除く作業を、昨日に引き続き行っています。 半分ぐらい終わりました。
山側は土がやや厚く堆積しているみたいです。
こちらの調査区は日陰ですが、木の根っこが多く、なかなか思うように進まないところもあります。
今日は午後からFMわっちの番組「とっておき岐阜情報 聴いてミント」の収録がありました。
放送日は8月3日8:30~、17:00~の2回、10分間ということです。
2007年07月24日
今日も快晴でした。このまま梅雨明けでしょうか。
第1区では日曜日に実測した近代石垣の図面に高さの数値を入れる作業をしました。業界用語で言う「レベル入れ」というやつです。 平面図にレベルで図った数字を入れていきます。こうやって高さも記録するんですね。 地面を掘っただけの柱穴なら穴の上を4点ほどと穴の底を測るのですが、石垣の場合は時間がかかります。
レベル入れの後、石垣をはずし始めました。明日には完了すると思います。
第2区は、今日が実際の初日です。表面の土(表土)を掘る作業を行いました。調査前はなんでもなかった場所が、 だんだん発掘調査地区らしくなっていきます。
ごめんなさい。今日は忙しくて写真を撮ることができませんでした。明日には載せますのでご容赦ください。
2007年07月22日
昨晩まで60%だった降水確率も今朝になると10%に下がっていました。久しぶりに暑い中での作業です。
今日も第1区のみの調査でした。まず、調査区にたまった雨水を排水した後、調査区北側にある近代(明治時代以降)の石垣の写真撮影、 実測作業を行いました。
この石垣は住宅地に盛土をした時に土留めとして作られたものです。拡張前の6月の段階から見つかっていて、ごらんになっている人に 「戦国時代の石垣ですか?」とよく聞かれました。そのつど「残念ですが、これは明治時代以降のもので・・・」と説明しておりました。
この石垣の方向は今の道路と比べて北側を大分西に振っており、少し前の土地区画の方向性を示していると考えられます。
戦国時代の側溝、明治以降の石垣、現代の道路、それぞれ微妙に方向がずれているのですが、その様子を図面として記録に残す作業を行います。
実はこの石垣は戦国の「大道」側溝のライン上に位置します。この下に溝の続きが出てくるはずです。記録が終わった後石垣をはずして、 掘り下げて行く予定です。
明日(月曜日)は現場作業をお休みします。
第1区の作業風景(南から)
近代石垣は北端で見つかっています。
近代の石垣(南から)
石垣の実測風景
石垣手前に張った糸を基準に、縦○cm、横○cmというように測って、真横からみた様子を図面に書きます。
右奥にあるのは「レベル」という高さを測る機械です。
2007年07月21日
本日は、雨天のため、現場をお休みさせていただきます。
でも本当に7月に入ってからよく降りますね。けっこう雨には泣かされました。
明日も天気が悪いようですので、調査ができるかどうか心配です。
2007年07月20日
発掘調査は雨が降ると基本的に作業ができません。 一日作業を中止する場合は朝の9時ごろまでにこのブログでお知らせします。
途中で雨が降ってきた場合には、書き込めないこともあるかもしれませんがご容赦ください。
雨が降っても発掘調査案内所は開いております。(7/21~8/31は月曜日休み) 開設時間は発掘作業と同じく9時から16時です。
パネルや映像による調査成果紹介を行っていますので、お気軽にお立ち寄りください。
発掘調査案内所の外観
重厚な看板と案内所の「のぼり」が目印です。
案内所のパネル展示
信長居館や過去の発掘調査成果について紹介しています。 一部はこのブログにも掲載しています。
発掘に使う道具の展示コーナー
展示するまでもないありふれた道具ですが、意外と面白い使い方をするものもあるんです。
たまに現場で必要になると棚から姿を消します。
2007年07月19日
みなさま、こんにちは。やっとHPが完成しました。
このページでは、現在岐阜公園内で行っている発掘調査の様子を日々お伝えしていく予定です。毎日とまではいかないかもしれませんが、 できるだけ発掘調査の現場の様子をリアルタイムでお知らせしてみたいと思いますので、よろしくお願いします。
本日の調査 曇り時々雨
1区では見つかった「大道」側溝をさらに広範囲に確認するため、
重機で明治時代以降の土を掘り下げ、調査区を広げました。
仁木先生のコメントにあるように戦国時代の道路面が確認できたらと考えています。明日から壁や床をきれいにして、 人力で掘り下げていきます。
2区ではフェンスを設置するなど、準備作業を行いました。
ここは、いままで調査されたことがないので、どれくらい土が堆積しているかわかりません。 そのため地表面から人の手で少しずつ掘り下げていきます。
1区の調査期間を延長したので、平日は2班に分かれて1,2区を同時に調査していく予定です。土・日など人が少ないときには、
片側の調査区しか作業をしていない場合もありますがご容赦ください。
ロープウェー乗り場の裏側からみた2区 家紋入りのフェンスがチラリと見えています。
東(山側)からみた2区の調査前の状況
幅2m、長さ15m程度の細長い調査区です。
大阪市立大学大学院文学研究科 仁木宏准教授(日本中世史・都市史) からコメントをいただきました。先生には信長居館発掘調査専門委員会の委員もお願いしております。
今回の発見は、
信長時代の城下町の道路がはじめて確認されたという点で画期的な成果である。
これまで、岐阜城下においては、家臣団屋敷は部分的ながら確認されていた(大宮町北街区(バス駐車場)での試掘調査)が、道路が
(側溝の部分が中心とはいえ)確認されたのは初めてである。
しかもこの道は、「濃州厚見郡岐阜図」に描かれている点が興味深い。
同図によると、この「大道」は、信長居館が立地する山側地区と城下町側を区画する道路である。おそらく山側には、信長の一族・
重臣の屋敷が建ちならんでおり、城下町側には、それより一ランク下がる家臣の屋敷があったと推測される。すなわち、
この道路が屋敷のランクづけを目に見える形で示す装置の役割をはたしていた可能性があるのである。
また絵図でこの道が直線に描かれている点にも注目する必要がある。現地は城下町の建設以前、かなり複雑な自然地形であったはずである。
そこに直線道路を設定することによって、自然条件を克服してみせる権力の偉大さを示す意図があったのではないかと思われる。ただ、本当に、
絵図で描かれたように道路が直線状かどうかは今後の調査を待たねばならない。
さらに、この道路が、ルイス・フロイスが論及している道にあたる可能性もある。
フロイスは、「3階と4階の見晴台からは町の全体が見えるが、そこはすべて武将や主だった貴人が所有する新築の家々だった。
宮殿を出たところの非常に長い通りは、家臣や奉公人の家のみで、他の人のは含まれていない。」と述べている。この「通り」
が今回発見された道路かもしれない。(注)
フロイスの表現からは、今回発見の南北道とは異なる、東西方向の「通り」の可能性もあるが、万一、これがその道であるとなれば、
フロイスも注目する「特別な通り」であったことになる。
これらのことを確かめる意味でも、道路面がどうなっていたのか知りたい。
城下の主要道であれば、小石を敷きつめていたのではないかと思うが、あるいは石畳にするなどして舗装していた可能性もある。
戦国時代の城下町の道路面が確認されることは全国的にみても一乗谷や小牧など数例しかないのではないか。
西側の屋敷と道路の間に何があったのか。土塀や土塁か、板塀や柵かも重要である。
現段階で確認されているのは、道路のしかも側溝部分にすぎない。最初に道路を設定したのも信長ではなく斎藤道三の可能性もある。
だが、今回の発掘を契機として、信長が城下町をどのような都市プランで設計していたのか、研究が進んでゆくだろう。また今後も、
信長居館だけでなく、機会をとらえて城下町部分についても積極的な調査が進展するよう期待したい。
今回の発掘は岐阜公園の再整備にともなうものである。遺構をいかした展示スペースなどをつくるなど、
岐阜公園を訪れた人が戦国時代を少しでも感じられるような工夫を望みたい。
(注)高木洋「ルイス・フロイスの岐阜探訪―1569年7月12日付書簡(アルカラ版)全訳―」『岐阜市歴史博物館研究紀要17』
2005年
信長居館発掘調査 1区(武家屋敷地) の調査成果
6月12日から調査を行っていた第1区は、戦国時代の武家屋敷地があったと考えられる地点です。近現代の整地土を掘り下げていくと、 戦国時代の溝や建物跡が出てきました。江戸時代は畑地で、人は住んでいなかったようです。
調査区は近現代のゴミ穴が多く、戦国時代の地面が残っていない場所もありましたが、重要な成果として戦国時代の「大道」(おおみち) と考えられる南北方向の道路の側溝と武家屋敷地を区画する東西方向の溝を確認することが出来ました。
南北の直線道路「大道」
江戸時代前期の承応3年(1654)に描かれた絵図「濃州厚見郡岐阜図(のうしゅうあつみぐんぎふず)」(名古屋市蓬左文庫蔵)には、 調査区のすぐ東側に南北の直線道路が走っている様子が描かれています。江戸時代の検地帳などをみるとこの道は「大道」 と呼ばれていたようです。現在も岐阜市歴史博物館周辺には「千畳敷下大道西」という字名が残っています。
「大道」発見の意義
江戸時代の絵図に描かれている道路が戦国時代までさかのぼる可能性が高くなりました。その場合、 現在の岐阜公園内を南北に通る道路のルーツは、戦国時代までさかのぼることになります。
戦国時代の岐阜城下町の土地区画が発掘調査ではじめて確認できた点でも、その意義は大きいといえます。
第1区で見つかった遺構
第1遺構面 斎藤期から1600年ぐらいまでの時期
・ 「大道」(おおみち)と考えられる南北方向の道路の側溝(幅60cm、深さ30cm) を確認。
・ 武家屋敷地を区画する東西方向の溝を確認。
・ 建物の柱穴や掘り穴を確認
※ゴミ穴の断面や底の部分では、さらに古い時期の遺構(第2、3遺構面)も見つかっています。
第2遺構面 斎藤氏時代、それ以前か?
・ 建物の柱穴や掘り穴を確認。
第3遺構面 戦国時代かそれ以前
・ 川原石を使った石組み遺構の一部を確認。
遺構検出状況(南から)
白線で囲った部分が遺構。大きな穴は近現代の撹乱です。
手前1/3も近年の撹乱で遺構面が削られ、第3遺構面の遺構が見えています。
1区で見つかった遺構(第1遺構面)(北西から撮影)
南西から撮影
岐阜公園周辺のイメージイラストです。イラストを左右(実際には左が北)に走る道路が「大道」です。
岐阜公園は織田信長が館を構えた地として知られています。 ちょうどいまから440年前、 信長は美濃を治めていた斎藤道三の孫、龍興を追放し、みずからの本拠をこの地に移したのでした。 それから2年後の永禄12 (1569)年、岐阜を訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、その記録の中で信長の館を「宮殿」と称し、 華麗な内部の様子を紹介しています。信長居館跡の入口部分は発掘調査の結果復元整備され、現在見学することができますが、 館の姿や配置など居館の多くの部分はまだ謎のままです。
今回、 建物の位置や構造を調べる発掘調査を開始しました。発掘調査は一般公開とし、来園者のみなさんに見学していただけるようにします。 また公園北側に設けた発掘調査案内所(旧信長楽市)やホームページ等で調査成果を紹介するなど、随時情報発信してまいります。 発掘の見学とともに岐阜公園を散策することで、その歴史的魅力を再発見できるのではないでしょうか。
岐阜城下町遺跡、 岐阜城千畳敷遺跡 (信長居館跡)において、これまでに発掘されたことがない地点を中心に調査を行います。 写真、 図面及び周辺の地形測量などにより記録を作成しつつ、戦国時代の建物跡の残り具合やその深さなどを調べます。
第1区 発掘調査案内所前 (6月中旬~7月中旬)
家臣団の屋敷地と考えられる地点。
「大道」 側溝部分については8月中旬まで調査を継続します。
第2区 ロープウェー山麓駅北側 (7月下旬~9月下旬)
居館本体の一部など、重要な建物が想定される地点。
第3区 槻谷 (けやきだに)平坦地(10月上旬~12月上旬)
ルイス・フロイスの記述にある〔茶の座敷〕の説がある地点。