岐阜城跡(ぎふじょうあと)
岐阜市千畳敷下257-1他16筆、金華山国有林3180林班い林小班他37班等
2,091,602.74平方メートル
岐阜城(稲葉山城)は濃尾平野の北端部、長良川が形成した岐阜扇状地の左岸扇頂部付近にある金華山山頂を中心とした山城です。その西麓の岐阜公園一帯には斎藤道三、織田信長等歴代城主の居館があったと江戸時代以来伝えられてきました。 稲葉山城の築城は建仁年間(1201〜04年)頃と伝えられていますが、詳しいことは分かっていません。中世を通じて宗教施設が存在していたようで発掘調査でも関連遺構が確認されています。 近世の伝承では斎藤道三が付近にあった伊奈波神社を移転させ、ここを拠点に城下町の建設を行ったとされており、その年代は天文8年(1539)といわれています。その後織田信長は、永禄10年(1567)に稲葉山城攻めを行い、道三の孫・龍興を伊勢に追放、小牧山城からこの地に本拠地を移しました。それまで使われていた岐阜の名を広く用いるようになるのもこのころからです。信長は岐阜に9年間在城した後、子の信忠に譲り、自らは安土城に居を移します。その後城主が転々としますが、慶長5年(1600)、信長の孫・秀信が城主の時、関ヶ原の戦いの前哨戦で岐阜城は落城、以後廃城となります。
昭和32年
岐阜城跡を岐阜市史跡に指定(山頂、山麓の一部)
昭和59〜62年
1次調査(織田信長居館伝承地の整備に伴う調査)
昭和63〜平成元年
2次調査(美術館建設に伴う発掘調査)
平成8〜16年
岐阜県中世城館跡総合調査〔岐阜県教育委員会〕
平成9〜11年
3次調査(「信長の庭」建設に伴う発掘調査)
平成19年
4次調査の開始
平成20年
4次調査
平成21年
4次調査 意見具申書提出
平成22年
4次調査 11月19日 史跡指定の答申が出される
山城は山全体が天然の要害である。今回指定された範囲は、分布調査、絵図、文献の検討から考えられる岐阜城の城域になります。